対話から始まるパートナー関係

シンクロジスティクスの一木です。

今回は、初期の中古車輸出業界を振り返りつつ、この業界における対話の重要性についてお話させて頂きます。

 

■中古車輸出ビジネスの黎明期

日本で中古車輸出ビジネスが始まったのは1970年代です。在日パキスタン人やスリランカ人の方々が、廃車寸前の車を安く仕入れて輸出したことから始まりました。ほぼ原価ゼロで1台あたり10~20万円(現在の価値で20~40万円くらい)の利益を得ていたそうですから、”儲かるビジネス”として新規参入者が増え、輸出台数も急増していったという経緯がございます。

一方で、当時はまだ中古車輸出に関する法律や仕組みが整っていませんでした。現在のように通関書類の作成や諸手続きを行わなくてもどんどん輸出できたため、

  • 車両を勝手にヤードに置いて帰る
  • 盗難車を輸出しようとする
  • 船積み費用を支払わない

といった輸出事業者も一部存在し、損失をこうむる港湾事業者も多かったようです。そのような状況を改善し、健全で円滑な中古車輸出を促進するために規制や法律が整備されていきました。

 

■輸出事業者と物流事業者は運命共同体

初期の中古車輸出業界はやや混沌としていたため、輸出事業者と物流事業者との関係性は少々ドライな面もあったのではないかと思います。積極的に対話をして信頼関係を築こう、ビジネスパートナーとして協力し合おう、という考え方をもつ人は少数派だったかもしれません。

しかし、輸出事業者と物流事業者は運命共同体のようなものではないでしょうか。「車を売る→運ぶ」という流れがスムーズならより多くの車を輸出できるため、双方のビジネスが伸びますが、反対に「たくさん売れても運べない」「売りやすい仕組みができていない」といった状況ではビジネスチャンスを逃しやすくなります。

中古車輸出のマーケットは、自然災害や感染症のパンデミック、輸出先国の政治情勢などによって大きく変動します。これらは日本の中古車輸出に関わる誰かがコントロールできるものではないですし、もちろん誰の責任でもありません。だからこそ、私達は運命共同体として、さまざまな状況の変化やリスクに対応できるような協力体制を整えておく必要があると思います。

 

■マーケット拡大のカギは「対話」

お互いの協力関係や信頼関係を築くための第一歩は「対話」であると考えています。

私が日頃から実践しているのは、

  • 各国の状況やマーケットの見通しについて意見交換・共有をする
  • お客様に「どんなことでお困りですか」とご状況をお聞きする
  • どうすれば円滑に輸出できるか、お客様のために何ができるかを考える
  • 課題解決やリスク回避のためのソリューションや代替案を提案する

これを、マーケットの良し悪しに関わらず続けるように心がけています。

ありがたいことに、対話を続けていると私の提案に耳を傾け、共感していただける方が少しずつ増えていき、「一緒にビジネスを伸ばそう」「長期的に協力し合おう」というパートナー関係が自ずと生まれるようになりました。

それぞれが持っている情報は、あくまでも「点」としての情報でしかありません。お互いの情報を持ち寄って対話を続けることで、点と点が結びついて「線」になり、線と線を組み合わせることで立体的な解決の道筋が見えてくるようになります。

私は、関係者間のオープンな対話が全国各地で行われるようになってほしいと願っています。対話を通じた協力関係・信頼関係がもっと強いものになっていけば、マーケットの変化に強い業界に変わることができると信じています。

日本の中古車輸出市場のポテンシャルはまだまだあります。需要を余すことなく引き出してマーケットを拡大させるためには、全関係者で力を合わせて機会損失を減らし、もっと戦略的に自動車を輸出する仕組みを作ることが肝要ではないでしょうか。

 

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